―廣木監督&成田プロデューサー インタビュー
――そもそも、雪村さんという縛師を撮り始めたということですが、監督が、最初に持っていた興味というのは、なんだったのですか?
廣木:SMというと女の子がメインだったりするけれども、逆に縛っている側はどういう感じなんだろうっていう興味があった。実際に見てみると、実は、女の人のすごいパワーによって男の人が突き動かされている。縛師は女の子の要望にすべて答えてあげるというわけ。逆転してるんだよね。それがすごい面白いなって。SMだとMの関係性しかないけれども、(縛師とモデルの関係性は)そうじゃない。
――撮影はどれくらいかかったんですか? モデルさんについては、気を使うこともあるかと思うのですが。
廣木:現場があると撮影させてもらうという感じで、一年ほどかけました。女性は基本的には各縛師の推薦するモデルさん、時にはSMに興味があり、撮らせてくれる方も出ています。それにしても、縛師の人ってかなり女の人を選びますよね。Mの人も縛師を選ぶのと一緒で、そこはある意味対等なんだろうね。SMをやっていても出てこない、のってこない。やっぱり(自分を)出さないとそれは出来ないよね。
――観ていて印象的だったのは、監督は縛師を撮っているのではなく、縛師に縛られている女の子を撮っているな、と思ったんですよね。
廣木:いや、女の人の表情を撮るということは、逆に縛師が女の人の表情をどんな風に変えて行くのかってことだと思ったし、それがその縛師の特徴かなって思ったから。
――廣木監督の他の作品を見ていると、SMを撮るというよりはその関係性を追っている、という風に見えるのですが。そこはどこからくるのでしょう。
成田:そもそも、自分が最初に、廣木監督という才能に出会ったのは、ロマンポルノのセミドキュメンタリーのSM映画『ザ・折檻』っていう作品でした。伊集院剛監督という名義で、廣木監督とか中村幻児監督とか石川均監督とか複数の監督が集まって撮ったものです。そのときに「とんでもない、ドキュメンタリー感覚を持ち合わせている人だな」という衝撃があったんです。
――そうですね。廣木監督の作品は、劇映画であっても生々しさを感じるというか。
成田:演出方法として、対象、演じる人間に対してべったり寄り添ったりしない演出じゃないですか。そういう意味ではドキュメンタリーにおいてはそういう才能が発揮されて。そこはやらせじゃない、ほったらかし。叙情的に寄り添ったりしない演出。ドラマでもそういうところありますよね。
廣木:そうやって、日活ロマンポルノで初めて実際のSMクラブの人たちと出会って、「縛られていい、いいっていうのは本当に?」という疑問があって、それが初めてだと思う。
――縛師とモデルは対等だとおっしゃっていましたが、実際には、どのような関係になっていくのですか? 廣木:縛られた女性にインタビューするじゃないですか? 早乙女さんが催眠術みたいなものって言っていたけど、彼女曰く、ある内的なところでいかに遊ばせてくれるかということが、縛師に対して一番求めることなんだって。だからそれに関して痛いことも伴う、縛られることも伴うということがあって。普通のセックスだとそういうのないからさ。そこのコミュニケーションということが、肉体の挿入とかじゃない、二人の空間なんだと思う。縛師とモデルの関係性を撮っているということは、僕たちは第三者なんだよ。じゃあ、この二人の間に何が起こっているか、ということを伝えられなかったことはちょっと残念と思う。でもそこはなんか興味あるし、そこを映したかったんだよね。台詞を書いちゃったり行動を起こさせたら、ドラマとしたら納得するのかもしれないけれども、縛師とモデルの間では、そういうのはない所で成立しているのは不思議だなって思った。
――最初に観たときにびっくりしたのが、縛られてると女性がみんなとても美しく変化していくんです。
廣木:みんなかわいくなるよね。頬も紅潮するし。縛ってる縛師の人たちだけが感じる、肌がしっとり汗ばんでるそのきめ細やかさだったり。映してるときって、彼女がかわいくなるからカメラが寄っていくというのはあるけれども。初めはすごい固いんだけれども、縛られると自分の世界に行っているから、だから美しいんだろうね。
――SとMの関係性が逆転すると言っていたんですけれども、逆転というよりかは、MとMのやりとりなのかな、とも思ったんですけれども。そこにサディストはいないような………。
廣木:だから縛師っていうのは、奉仕という意味でのMという部分もあるのだろうけれども、被虐的な、肉体が縛られていたりすることで燃える人たちもきっといっぱいいるわけで。そういうことを何らかの形で、例えば写真とか画とかで体験しているからこそ、縛師になってるんだと思う。縛ってる方にびっくりするか、縛られている方に憧れるのか。で縛っている方に憧れて縛師になるんだと思うんだけれども。昔伊集院剛の時にSMの過激なのを見せてもらったことがあったんだけれども、乳首に針を通して引っ張ったり、血がだらだら流れたり、それは男性が女王さまに責められていて、でもその彼は全然大丈夫なんだよね。でもそこには何もないよね。
成田:血みどろの快楽があるだけですよ。
廣木:先日アップリンクでフランスアート映画の特集をやってたんですよ。そこでトークしてきたんだけれども、最初暴力を受けた女の人が娼婦になって、ある男と出会って、っていう話なんだけれども、他の作品の話も聞いたら、みんな暴力から入ってるんだって。なにかしらの暴力があって、そこからエロに目覚めるっていう作りなんですよ。それが多いっていうのは興味深かった。それは、日本では強姦された男に惚れていく女の話とかがあって、でもヨーロッパではないのかなって思ってたから。
――密接なものなんですかね?
成田:少女の頃にいたずらされて、SMとかマゾに、というのがとても多いですよね、分かりやすいところで言うと。
廣木:多いですね。いけないことですよね(笑)。でもみんな持っているんだと思うんですよ。有末さんの台詞で、編集で切っちゃったんだけれども「僕らは精神科医みたいなもんだ」って言ってて。彼女の悩みを僕らが引き受けて、それを包容するように……。
成田:癒しですよね。
廣木:SMで癒しかよって(笑)。でも確かにね、あるとは思う。何かあったときに、ここで自分を出していいんだ、開いていいんだというのはあると思う。自分を出してもここでは大丈夫なんだというのをやる方法を彼らは持ってる。それが通常の癒しという概念とはちょっと違うと思うんだけれども。めぐり会ったら本当に離れられないし、それはすごく依存する。だから縛師は依存させる力を持ってるよね、だから怖いんだけれども、本当は。
成田:基本的な考え方としては、昭和という時代を代表する3人の縛師をクローズアップして。この人たちは幼少の頃からの本物ですよ、Sとしては。その欲求に突き動かされてここまで来た、その縛師というタイトル通りに、プロの縄を使うロープマスターだという捉え方で良いと思うんだよね。プロ中のプロなんだから。プロとして、仕事としての彼らをクローズアップしたということで良いんだと思う。あえて、彼らの生活の部分にはふれなかったのは、彼らの縛師の部分だけを見てくれて(映っていないバッググラウンドを)いろいろ考えてくれた方がいい、と思ったんですよね。生活を描いた方がSMという概念がぼける気がして。
――プロはプロである、ってことだけですよね。
廣木:そうそう、それでいいんだって思った。あれは一つのパフォーマンスだから、着替えて、さあはじめますという。自分の生活感を消すことによってモデルさんのもとに行く、モデルさんのものになるというところがあるんだと思う。二人の空間は神聖なものなんだよね。セックスとか、今軽いじゃないですか。じゃなくて男と女の関係って、神秘的で神聖でいいんじゃないかな、という気はしますけれどもね。
成田:ただ、行為自体、癒しという面だけではないですよね。もっとアブノーマルで危険なものを孕んでという面がある。癒しなのか、病気なのか。風俗として提示するよりは、もっと奥深い、致命的なアブノーマルでヤバいものが、ここには含まれているんだということを見せたかったんだよね。
廣木:今アブノーマルもノーマルもないしね。
――縛師の世界ってプロじゃないですか。すごいしっかりしている、だからこそあれが出来るのであって、素人には絶対出来ないですよね。
成田:絶対危ない。死んじゃいますよ。
廣木:アブノーマルとノーマルの境界は、昔は、しっかりしていた。今は「彼女は彼の体をバラバラにして捨てたら声が聞こえた」って、はっきりとアブノーマルなことが一般のテレビでやってるじゃないですか。でもこの人は変だとは言わないよね。本当は狂ってるんだよね、「狂っている」って、はっきり言わないんだよ。
――それを怖いねということはあっても変だとは言わないですからね。
廣木:言えば良いんだよ、だって狂ってるんだから。
――例えば映画業界では幼児ポルノ法とかどんどん規制がすごいことになっているのに、実際の世の中の方がすごいでしょ、という。その境目もなくなってることに対する怖さというのもあるし……。先日SM系雑誌の編集の方が「これは変態行為なのだということをいつも念頭に置いている」というのをおっしゃっていて、聞いたときはよく分からなかったんですけれども、そういうことなのかな、と。
成田:変態ですよ、まぎれもなく。
廣木:今危ない世界が逆に叛乱している。いろんなものがインターネットでいくらでも見れますからね。だからこそ、変態行為だけれども、しっかりとした“プロの世界”をこの映画でのぞいてみたらいいと思います。そうして、ノーマルもアブノーマルも味わったらいいと思います。
(2008/3/14 渋谷にて)